偉大なる道しるべとしての先達の言葉

 facebookの友達のリンクからの転用になります。

・・・このように記すと怪しいねずみ講みたいですが、至極全うなリンク先なので、ご安心ください。

 相手の心に届いて、初めて言葉は意味を成すものです。私の心の奥底に、このメッセージは突き刺さりました。

 

一年前に書かれた文章です。

 

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しか し、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、 あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、…続きを読む

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コメント: 2
  • #1

    チェロ偏愛家 (金曜日, 30 3月 2012 09:03)

    大学4年の時、自身の方向性に悩み、大学生でいることすら嫌で嫌で仕方なく感じていた時期があります。
    今となれば笑っちゃうくらい甘ったれているんですがね。

    敬愛するJ.S.BachのBWV1007と共に、大学生時代の自分に贈ってやりたいと思いました。

  • #2

    ゴロベエ (金曜日, 30 3月 2012 23:20)

    あの頃の無為な時間の浪費があるからこそ、今の自分があるのですね。無駄なことは一つもないと思います。
    ただ、あの頃に戻れるのならやりたいことは無尽蔵にあります。そう思える今はもしかしたら幸せなのかもしれません。